ハーパーズフェリーは,ワシントンDCのダウンタウンから北西に車で1時間強の場所にあり,ウェストバージニア州最東端の街です。
シェナンドー川とポトマック川の合流地点で,バージニア州・メリーランド州との境でもあります。ハーパーさんが1761年にポトマック川を横断するフェリー会社を設立したことから,街の名前はハーパーズフェリーとされました。
人口は300人未満。1日で観光できてしまうこの小さな街には毎年50万人以上の人々が訪れるそうです。
四季に彩られる豊かな自然,この街が舞台となった多くの歴史など,ハーパーズフェリーの魅力と見所をお伝えします。
①有名なトレイルの中間地点
ハーパーズフェリーはハイカーの憧れ,南はジョージア州から北はメイン州までアパラチア山脈に沿って伸びる全長3500kmのアパラチアン・トレイルの中間に位置しており,古くからハイキングする人に休憩や食事で利用される街です。(平均半年かかるというこのトレイルに挑戦する人が年間約300万人もいるそう…!)
The Point at Rivers(2つの川の合流点)からメリーランドハイツに向かってポトマック川の上を歩くことができる歩道橋はこのアパラチアン・トレイルの一部です。
②大統領に称賛された美しい景色
独立宣言を起草し後に第3代大統領を務めたトーマスジェファーソンは,1783年に街を通り抜ける際に「この景色は大西洋を渡る旅に値する」と称えたそうです。その場所は現在ジェファーソンズロックとして知られ、私たちも同じ景色を望むことができます。
1794年に初代大統領ジョージワシントンがハーパーズフェリーを訪れた際にも街の自然の美しさに感銘を受け,この街を新しい国家の武器庫とすることを決めたといいます。
夏には川沿いで足を水に浸けて涼むのも気持ちがいいです。10月頃の紅葉の時期は街が黄色やオレンジ色に染まりとても綺麗です。メリーランドハイツからの眺めは特に夕焼けの時間が人気で,2つの川に挟まれた小さな街の美しい情景を写真に収めることができます。(撮影スポットまでの道は急斜面です。柵等ないため小さな子連れは十分に注意してください。)
③南北戦争の一因となった事件
国家の武器庫となった街は機械工場やライフル工場が産業をもたらし、チェサピークアンドオハイオ運河とボルチモアアンドオハイオ鉄道の建設によって,東部の重要な交通ハブとなりました。北部の商人や移民労働者により人口が増加,奴隷として働くアフリカ系アメリカ人の姿も多くなりました。
ジョンブラウンら21人のグループは連邦武器庫を襲撃し武器を盗み南部のアフリカ系アメリカ人を武装させることで米国における奴隷制を終わらせる奴隷制廃止運動を先導することを計画,1859年10月16日にブラウンの蜂起と呼ばれる事件を起こしました。
計画は2日でリー大佐ら軍隊に鎮圧されブラウンは12月に絞首刑に処せられましたが,2年後に開始することとなった南北戦争の一因と言われています。街には事件の舞台となった武器庫や,博物館,蝋人形館があります。
④南北戦争の激戦地
戦争開始時,バージニア州が北軍離脱を決めた際,南軍の武器確保のために焦点が当てられたのがハーパーズフェリーでした。戦時中(1861-1865年)は,3つの山に囲まれ防御に弱い立地であることもあり紛争の温床となりました。
lower townの小高い場所に立つSt. Peter’s Roman Catholic Churchは1833年に建造され,英国旗を掲げることで繰り返し街を襲った砲撃の被害を回避し南北戦争を無傷で乗り越えた教会です。
戦時中は病院として使用されたという教会は今も変わらず人々を受け入れています。境界を出発地点とし街の歴史を語り継ぐゴーストツアーは,五十年以上も続くパーパーズフェリーで人気の体験です。
人工的な雰囲気のないこの街は,都会につかれた時にまた行きたくなるようなそんな穏やかな空気が流れています。夏・秋の週末の旅行におすすめです。
■行き方
・車で行く場合Google mapを使うとLower Townに連れていかれますが駐車場が少ないです。ビジターセンター(171 Shoreline Drive、Harpers Ferry、WV 25425)に向かい,無料シャトルバスでLower Townへ。
(シャトルバス利用時は復路バス発車時刻を確認して計画的に遊ぶことをお勧めします)
※2020年8月4日現在COVID-19の影響によりビジターセンター駐車場/トイレ/シャトルバス閉鎖中。駅駐車場のみオープン。
・電車で行く場合,アムトラックが1日1往復と,MARCがDCのユニオンステーションから出ています。
◾️公式サイト(英語)
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